光GENJI(光ゲンジ)の概要
1987年(昭和62年)デビュー。ローラー・スケートを履いてのパフォーマンスが話題となり、全国の小中学生の間にローラースケートを流行させた(※実際には、歌番組でローラー・スケートを履いたのは、1980年(昭和55年)12月31日の紅白歌合戦で『南風』を歌った太田裕美だった。それ以前にローラ・スケートを履いて歌っていた歌手は未確認。国民栄誉賞受賞歌手・藤山一郎が日劇でローラースケートを履いてアコーディオンを奏でながら歌った記録がある。)また、ジーンズの短パンなど半裸に近い衣装が印象的で、歌の途中で上半身の衣装を脱ぎ捨てるパフォーマンスに、『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子が思わず目を覆ったという話がある。
メンバーのイメージカラーは、内海=青、大沢=紫、諸星=ピンク、佐藤寛之=水色、山本=赤、赤坂=緑、佐藤敦啓=黄色だった。佐藤寛之・赤坂晃・山本淳一・佐藤敦啓の4人で "SAY・S"(セイズ)という内部グループがあり、SAY・Sという名前は佐藤寛のS・赤坂のA・山本のY・佐藤敦のSで4人のそれぞれの頭文字をとってつけた名前で出来ている。
1988年(昭和63年)には『パラダイス銀河』『ガラスの十代』『Diamondハリケーン』がオリコン年間シングルチャートの1・2・3位を独占するという、1978年(昭和53年)のピンク・レディー以来の大ブームを巻き起こした。さらに、1988年から1993年(平成5年)まで、『ミュージックステーション』にレギュラー出演していた。出演数は234回と歴代アーティストの中でトップである。しかし、アイドルや音楽番組が衰退した時代の波に呑まれ、早くも1990年(平成2年)頃からブームは沈静化した。その後は、CHAGE and ASKAに提供された初期の作品に比べ、それ以上の良質かつインパクトを残す作品に出会えなかった。1994年(平成6年)に大沢樹生・佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更。翌1995年(平成7年)に解散した。
現在、CHAGE and ASKA(特に飛鳥涼)が提供した『STAR LIGHT』『ガラスの十代』『パラダイス銀河』、大江千里が提供した『太陽がいっぱい』など全盛期の名曲は後輩に歌い継がれている。メンバーにイメージカラーを付ける構成は後輩のSMAPに引き継がれている。年長の2人(元イーグルス)を「光」、残りの5人を「GENJI」と分けるグループ内ユニットの存在が特徴的で、このスタイルは後輩のV6に引き継がれた。また『剣の舞』に登場したバックダンサーとして作られたグループ「平家派」には野口隆史(後の反町隆史)、坂本昌行、長野博、城島茂、山口達也、国分太一らが在籍していた。さらに初期のバックダンス、およびスケボーのパフォーマンスは、後のSMAPとして活躍するメンバーを含む12人のスケート・ボーイズというグループだった。SMAPは1988年の紅白で「メドレー〜ガラス十代〜パラダイス銀河〜ダイアモンドハリーケーン〜剣の舞〜」を披露した時にスケボーで出場。1989年の紅白歌合戦にはコーラスとして参加した。『勇気100%』は、NHK教育テレビのテレビアニメ『忍たま乱太郎』の初代オープニングテーマソングに選ばれ、1993年から2002年まで使用された。また、この曲を紅白歌合戦で歌った時は、TOKIOがバックでローラースケートを滑っていた。2002年からはジャニーズの後輩のYa-Ya-yahに『新・勇気100%』として受け継がれている。